【概要】青森、岩手、宮城の日本海側をめぐる東北・三陸海岸の車中泊旅で立ち寄りたい10の町を紹介。各スポットの概要や見どころなど。

「あのイーハトーヴォの岩礁の多い奇麗な海岸へ行って今ごろありもしない卵をさがせというのはこれは慰労休暇のつもりなのだ。」

と宮沢賢治『ポラーノの広場』に描かれている海岸が三陸海岸だといわれている。

宮沢賢治は大正14年に三陸海岸を訪れ、多くの詩を残した。三陸海岸沿いを旅すると数多くの詩碑が立てられているのを目にする。

画像2: 『あまちゃん』ロケ地も車中泊旅でめぐる!東北・三陸海岸の「行きたい町」10選

三陸海岸は青森県八戸市から宮城県石巻市までの約600kmの海岸で、岩手県宮古を境に北は海岸段丘、南はリアス海岸となっている。

この海岸沿いの特殊な地形は各地でさまざまな表情を見せ、名勝地が数多く点在。

以前は一般に「リアス式海岸」と呼ばれていたが、現在の学校教育では「リアス海岸」に統一されている。

画像3: 『あまちゃん』ロケ地も車中泊旅でめぐる!東北・三陸海岸の「行きたい町」10選

この複雑に入り組んだ海岸が魚にとって絶好のすみかとなるのに加え、親潮と黒潮がぶつかる潮目でもあることからノルウェー沖、カナダのグランドバンクと並ぶ「世界三大漁場」に数えられる。

そのため海の幸に恵まれ、新鮮でおいしい魚介類がどこでも食べられる。

画像: 種差海岸を走る県道1号のこの場所は、日本画家・東山魁夷の代表作『道』のモチーフとなった道で、道路脇には記念碑が立てられている。

種差海岸を走る県道1号のこの場所は、日本画家・東山魁夷の代表作『道』のモチーフとなった道で、道路脇には記念碑が立てられている。

東日本大震災で大きな被害を受けたことも記憶に新しいが、力強く復興が進んだおかげで三陸の道路や施設はどこも真新しく、復興道路として整備された仙台から八戸まで続く三陸沿岸道路(三陸道)はそのほとんどが無料区間である。

またクルマ旅の拠点となる道の駅も次々誕生し、どこへ向かうのにもアクセスが容易。

豊かな海の恵みと歴史ある風土が復興によりよみがえった美しい町並みに調和する三陸海岸は、どこにも似ていない風景に出会える旅になるだろう。

青森・八戸

活気あふれる町並みと風光明媚な北の玄関口

三陸の北の玄関口・八戸市は青森市、弘前市と並ぶ青森県の主要都市。工業都市であり全国屈指の水産都市でもある。

中心地は栄えているが、太平洋側に進むと美しい海岸風景が広がる三陸ジオパークの始まりである。なお、一戸〜九戸までの地名はあるが、四戸だけ存在しない。

葦毛崎(あしげざき)展望台

画像: 葦毛崎(あしげざき)展望台

西洋の古城のような展望台は旧日本軍の軍事施設跡。駐車場もあり、ここから種差海岸の遊歩道へ行くことができる。麓の売店では休日は行列ができるソフトクリームが人気。

種差(たねさし)海岸

画像: 種差(たねさし)海岸

奇岩と広大な天然芝生で有名。山を越えて吹く風「やませ」の影響で、普通は高山に咲くニッコウキスゲと海岸性植物のハマナスが同時に咲く。この景色を一望できるキャンプ場が併設。

館鼻(たてはな)岸壁朝市

画像: 館鼻(たてはな)岸壁朝市

3〜12月の日曜の早朝だけ出現する巨大朝市。朝市とはいえ海の幸だけでなく、あらゆる食料品、雑貨、かつては自動車まで売られていた。朝市公認アイドルグループまでいる。

蕪嶋(かぶしま)神社

画像: 蕪嶋(かぶしま)神社

ウミネコの繁殖地として国の天然記念物に指定されている。繁殖期で約3万羽のウミネコが乱舞するなかを参拝するため、ウミネコの「落とし物」から身を守るための傘やカッパが必要。

岩手・久慈

『あまちゃん』だけじゃない 海も山も魅力満載の北三陸

八戸から岩手県に入ると、町中どこへ行ってもドラマの「あまちゃんロケ地」に遭遇する町が久慈である。

最北端の海で漁をする「北限の海人」の町として一躍有名になったが、海だけでなく、世界有数の琥珀の採掘産地や紅葉の名所でもある久慈渓流など、山間部にも見どころが多い。

もぐらんぴあ

画像1: もぐらんぴあ

地下石油備蓄基地の作業用トンネルを利用した、日本で唯一の地下水族館。「南部もぐり」と「北限の海女」の潜水実演が見られる。

画像2: もぐらんぴあ

震災で全壊したが、復興時にさかなクンが自宅から多くの魚を寄贈した。

小袖漁港

画像: 小袖漁港

『あまちゃん』で有名になった北限の海女の素潜り漁が見られる「小袖海女センター」をはじめ、あまちゃんロケ地の宝庫。「つりがね洞」や「兜岩」「夫婦岩」などの奇岩の名所でもある。

久慈琥珀博物館

画像1: 久慈琥珀博物館

国内唯一の琥珀専門の博物館。映画『ジュラシック・パーク』で有名になった貴重な昆虫入り琥珀の展示や、実際の採掘坑道の一部を見ることができる。

画像2: 久慈琥珀博物館

琥珀の発掘体験やアクセサリーの加工体験など参加型展示も豊富。

岩手・田野畑、宮古

三陸海岸の代表的景勝地 絶景ばかりの本州最東端

海沿いの小さな田野畑村と本州最東端の町・宮古市の海岸沿いは、三陸を代表する景勝地の宝庫。三陸海岸のなかで宮古より南がリアス海岸になっていき、風景もより複雑な表情を見せる。

駐車場から展望台まで距離があり、長い階段が続く所も多くあるので、歩きやすい服装で行くのがおすすめ。

鵜の巣断崖

画像: 鵜の巣断崖

高さ約200mの断崖が屏風のように5層重なる三陸北部の代表的な景勝地。中腹にウミウの営巣地があることからこの名がついた。写真奥に見えるのは雲ではなく「やませ」。

青の洞窟

画像: 青の洞窟

全国に多数ある「青の洞窟」のひとつ。正式には「八戸穴」といい、かつてここに迷い込んだ犬が八戸で発見されたことから、八戸まで続いているとされていた。浄土ヶ浜マリンハウスからサッパ船で行くことができる。

浄土ヶ浜

画像: 浄土ヶ浜

「さながら極楽浄土のごとし」といわれ、宮沢賢治も「うるはしの海のビロード昆布らは寂光のはまに敷かれひかりぬ」という歌を詠んだ幻想的な名勝地。夏は海水浴場にもなり、サッパ船で海上から数々の奇岩を間近に見ることもできる。

〈pick up〉本州最東端への道のり

画像1: 〈pick up〉本州最東端への道のり

本州四端のうち最も到達が困難とされる宮古市の魹ヶ崎(とどがさき)。最寄り駐車場のある姉吉キャンプ場付近まで行き、そこから約4kmのトレッキングコース。最初の550mで一気に110m登る急登だが、そこを越えれば平坦な道に。

画像2: 〈pick up〉本州最東端への道のり

魹ヶ埼灯台までたどり着けば、近くの岩場に本州最東端の碑がある。往復約3時間。姉吉キャンプ場付近には自動販売機・トイレあり。

岩手・釜石

日本の近代化を支えた鉄と魚とラグビーの町

明治時代、新橋〜横浜、神戸〜京都に次いで日本で3番目に鉄道が開通した釜石市は、日本の近代化を製鉄によって支えてきた重要拠点だった。

活気あふれる釜石漁港、ラグビーワールドカップも開催された鵜住居(うのすまい)復興スタジアムを擁するエネルギッシュな町である。

橋野鉄鉱山

画像: 橋野鉄鉱山

「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産として2015年に世界遺産に登録。現存する日本最古の洋式高炉跡を見ることができる。

常駐しているガイドの解説がすばらしく、世界遺産に選ばれるほど極めて価値が高いことがよくわかるのでおすすめ。

千畳敷

画像: 千畳敷

最寄りの大沢遺跡駐車場から徒歩で約1時間。箱崎半島の先端まで行くと、花こう岩の敷き詰められた幻想的な風景が現れる。

木製鳥居が連なる御箱崎神社や御箱崎灯台も同時に楽しめる秘境感あふれるスポット。大沢遺跡駐車場までは細い未舗装路もあるので大型車は注意。

釜石大観音

画像: 釜石大観音

釜石湾を見守るように立つ、魚を抱いた高さ48.5mの大観音。内部は階段で登ることができ、11〜12階にあたる魚の部分は展望台になっている。

岩手・大船渡

岩手唯一の重点港湾 サンマと椿の町

サンマの水揚げ量が本州トップで「サンマの町」とも呼ばれる大船渡市。ホタテやメカブ、三陸ワカメなどが有名な水産業の町である。

また三陸土産で定番の郷土菓子「かもめの玉子」で有名な、さいとう製菓の所在地でもある。

比較的気候が温暖で自生のヤブツバキが多く咲き、「ツバキの里」とも呼ばれている。

碁石海岸

画像1: 碁石海岸

黒い玉砂利が一面に敷き詰められた碁石浜など「碁石八景」と呼ばれる景勝地が点在する碁石海岸。なかでも3つの洞門が開いた「穴通磯(あなとおしいそ)」は大船渡のシンボルといわれている。

画像2: 碁石海岸
画像3: 碁石海岸

碁石海岸インフォメーションセンターに併設されている碁石海岸キャンプ場は、電源付きオートサイトもあり設備も充実。観光とキャンプを同じ場所で一気に楽しめる。

岩手・陸前高田

失われた高田松原と『一握の砂』 不屈の精神でよみがえる町

東日本大震災の被害が特に大きかった陸前高田。高田松原には約7万本の松が2kmにわたって茂っていたが、 津波により「奇跡の一本松」を残して壊滅。現在は4万本の植樹が完了している。

過去に2度の津波で失われた石川啄木の歌碑も3代目が立てられている。

高田松原津波復興祈念公園

画像: 高田松原津波復興祈念公園

かつて高田松原があった場所に整備された国営追悼・祈念施設。道の駅高田松原と東日本大震災津波伝承館(いわてTSUNAMIメモリアル)が併設。旧道の駅も震災遺構として保存されている。

奇跡の一本松

画像: 奇跡の一本松

津波に耐え、立ったままの状態で残っていたことから復興への希望を象徴する存在となった松。懸命な保護活動が行われたが、根が腐り枯死と判断され、防腐処理をし、心棒を入れ、モニュメントとして保存されている。

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