第三話 ペンギンの仕草に、わが全身の筋肉はゆるむのだった
オアマルの町外れには、ペンギンのコロニーがふたつある。ひとつは、ブッシィ・ビーチ。町から3〜4キロほどはなれた静かな海岸だ。ここには、イエロー・アイド・ペンギンがいるという。
ニュージーランドには7種類のペンギンがいるらしく(世界には18種類のペンギンがいる)、そのうちの1種が、イエロー・アイド・ペンギンだ。
イエロー・アイド・ペンギンは、ニュージーランドにしかいないペンギンで、しかも絶滅危惧種に指定されている。
年々の天候の変化や、観光事業などによる開発での営巣地の減少、底引き網漁などなどが絶滅に拍車をかけている、とボランティアで調査をやっているというおばさんが嘆いていた。
イエロー・アイド・ペンギンは、5ドル札にも描かれているほどの、国民的英雄(?)でもあるのだ。
さっそくブッシィ・ビーチへ行ってみるが、何頭かのオットセイがのんびりあくびをしているだけだ。
ニュージーランドの浜には、アシカ、アザラシ、オットセイなど海洋哺乳類が多い。海には、クジラやイルカもいる。
じつは、僕は海洋哺乳類の「追っかけ」をやっていたことがある。もう20年以上も前の話だけど。クジラ、イルカ、アザラシ、アシカ、トド、ラッコにオットセイなどなどを、各地に探し歩いた。
小笠原や沖縄の南の島から、知床半島や宗谷岬、積丹半島に納沙布岬まで、日本の海岸を歩いた。さらには、それに飽きたらず、アラスカやアメリカの西海岸、それにメキシコへも行った。
追っかけはいつの間には度を越して、コククジラやカリフォルニアアシカ、ゴマフアザラシに、抱きついたこともある(人間相手だったら、変質者呼ばわりされただろう)。
ここにその話を書くと、長くなりそうだ。オアマルのペンギン話にたどり着きそうもないので、海洋哺乳類の「追っかけ」話は、今度、機会があったらじっくりとすることにしよう。
ブッシィ・ビーチは、「平和な海岸風景をイメージしろ」と言われたら、真っ先に思い浮かぶような景色だ。ここには、テロや戦争や疫病などまったくないだろうと思わせる風景が、見渡す限りに広がっている。
そんななか、2時間ほどぶらぶらと歩いてみたが、残念ながらイエロー・アイド・ペンギンは現れなかった。けだるい浜辺では、あいも変わらず、オットセイが退屈をもてあまし、ときどき寝返りをうっているだけだった。
イエロー・アイド・ペンギンは、静かな海に浮かびながら波と戯れていたのか。はたまた、海岸の木陰で小首をかしげながら、旅する日本人をこっそり覗いていたのかもしれない。
(旅の後半、オタゴ半島でイエロー・アイド・ペンギンを観ることができた。その話は、またのちほど)。
この町にいるもう一種のペンギンは、ブルー・ペンギン。世界最小のペンギンで、背の高さは30〜40センチほど。
町の南にあるビジターセンターでは、その周辺に200個ほどの巣箱を設置している。ペンギン団地だ。
そして、日没後にその巣箱に戻ってくるブルー・ペンギンを、観察スタンドから見ることができる。観察ツアーは、1時間ほど。
もちろん、有料である。36ドル。日本円にすると、2660円ちょっと(ニュージーランドドルは、このとき74円ぐらいだったので)。
観察スタンドは、その言葉どおりで、野球場の観客席の縮小版という感じだ。中に入って知ったのは、プレミアムエリアというのがあって、よりペンギンが近くで見られる観察スタンドである。こちらは、49ドル50セント(3660円ぐらいか)。
コンサートでの、S席、A席、みたいなものだ。
世の中、やっぱり金だな。
このエントリー・フィーを高いと思うか、どうか……。これが、日本だったら猛烈に腹が立つかしれない。「ペンギンを餌に、だれが儲けてるんだ!」と。
でも、ニュージーランドでは、すごく誠実に、そのお金をペンギン保護のために使っているんだろう、と思えてしまうのだ。
これはニュージーランドだけのことではない。アメリカの国立公園を歩いたときもそうだったし、ボルネオのジャングルを歩いたときも、キナバル山を登ったときにも、似た感情をもった。
もちろん、そう思う根拠などない。僕の、ただの偏見だ。日本という国への不信感が、そう思わせるのだ。
そんなことは、ともかく。
日が暮れてしばらくしたら、ぞろぞろとブルー・ペンギンが浜に上がってきた。
「うわっ!」
歩くのに不器用なその姿は、テレビや映画で見るペンギンそのものだったのだ。わが全身の筋肉がゆるんでいくのが感じられる。
上陸してきたブルー・ペンギンは、群れをなしても、さらに警戒心を強くするかのごとく、ときどき立ち止まり、周辺を見渡しては団地へ走る。あの短い足で、ペタペタと。
あわてんぼうのペンギンは、転んでしまう。まるで、笑いを誘うかのように。眺めているすべての人たちが、笑顔になっていく。
ブルー・ペンギンのコロニーから、ぶらぶらと宿泊先であるバックパッカーズへ歩きながら、僕のニヤニヤは止まらない。いまの時代、ほんとあんな不器用で愉快なやつらが地球上にいたんだな、と。
もし、ペンギンがこの世界から絶滅しても、いまの人間社会はなにも変わらないかもしれない。でも、南の海ではあいつらが今日もペタペタ歩いているのかと想像するだけで、僕は焼け跡のような東京で暮らしていても、明日もまた、活力あふれて生きていけるような気がする。
ありがとう、ブルー・ペンギン。
未来永劫、きみたちの地球でありますように!